上原専禄宅にて

柳沼重剛『語学者の散歩道』研究社「河野與一先生のこと」

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河野先生について驚くべきことは山ほどあるが、中でもとびきりなのはあれほどの学識と優雅さを身につけていらっしゃる先生が、お宅では家事一切を引き受け、中でも料理は得意の巻だとということだろう。しかし私にとって忘れがたいのは、これは『学問の曲り角』の中にも簡単に書いておられるが、上原専禄という、これもまた碩学の名にふさわしく、昔一橋大学で西洋中世史を教えていらっしゃった先生のお宅の偏額の話だ。この上原先生という方は、亡くなった時もある種のみごとさを発揮なさった方で、今の言葉でいえば蒸発してしまわれたのである。亡くなってから何年もたった時、京都で亡くなられていることを朝日新聞が発見して記事にして、多少とも先生を知る者をびっくりさせた。-この上原先生のお宅の玄関に(ここからが河野先生のお話)木の板にラテン語でLUDUS LITTERARUM ET ARTIUMと書いてあるのが掲げてあった(しいて訳せば「学芸闘技場」となろうか)。その文字がもう薄れかかっているのは、この看板が昨日や今日出されたものではないことを語っているわけで、もう長いこと自分の家を「学芸闘技場」と称している上原先生の心意気に感心しながら、さて座敷に通されて、座して主の入来(じゅらい)を待つ間、ふと偏額に目が行く。「蒙以養生」とある。これは『易経』だったなと河野先生は思う。そしてこの四文字の意味をいろいろに考え、まあ注釈にはそれぞれもっともな説も書いてあろうが、ここは気楽に勝手な読み方をお許し願えれば、これは「人間ほどほどに馬鹿な方が本当だよ。」うん、これはいいじゃないかとおもしろがって、ふと気がついて全部音読みで通して読んだら、「モウイイヨセ」だとさ、というのだ。「上原先生は、いつか≪モウイイヨセ≫と読んでくれるお客が現れるのを待っていらっしたんでしょうかね」とうかがったが、河野先生は「さあ、どうでしょうね」とおっしゃっただけだった。

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たまたま図書館をフラフラしていたら、柳沼重剛の著作を見かけたので、引いておきます。

上原専禄は、阿部謹也や弓削達の師匠筋とのことでした。弓削達の教科書で世界史を学んだり、阿部謹也のドイツ史に教わったものですが、気がつくと二人とも今はこの世になく、網野善彦もおらず、過ぎ去りし時を感じます。

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『回想~』に入っている真方敬道「雪と雑識」によると、河野與一宅まで吉祥寺の中通りを西に行く途中、右手に魚屋さんを越えた後、左手に木深い屋敷があり、上原専禄が住んでいたとか。仲が良かったようです。
by essentia | 2010-07-02 02:08 | 河野與一の時代と人々
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